Latest update: January, 2021
佐渡島花登山:2017年5月7日〜11日
参加者:大和夫妻、辰井夫妻、赤井、嶋倉、櫻井、小野、田辺、笹田、山本、佐溝、高橋、五十野

5月7日(五十野記):正午京都を車3台で出発。名神高速道路から北陸道に入り、一路新潟県上越に向かう。途中3回サービスエリアで休憩を取り、午後6時過ぎに西日に輝いた妙高山が美しく望める上越新井のホテルに到着。到着後、ホテル近辺の居酒屋へ全員出掛ける。上越の美味しいお酒と料理を頂き、明日からの佐渡に備え早い目に切り上げる事となる。
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5月8日(大和記):6時起床。 昨日の京都の朝とはお違いの肌寒さ、1枚余分に着こみ出発の準備をする。直江津港9時30分のフェリーに乗るのに早めの朝食をとりルートインを7時30分30分ほどで直江津港に到着。 昨日からの北西の寒気団がやってきて風も強く、会場には白波。'荒海やさどにようとう'の俳句通りの荒海1時間半の船旅が心配。予想通りの結果。11時過ぎに佐渡小木港に到着する。
 予約していたイカの釜めし、ブリカツ丼定食を食べる。船酔いのため食べられない人も。 そして小木港から20分ほど走り、これから3泊するシーサイドビィラに向かつた。目の前に日本海(州浜)、黄砂のせいでぼんやりと明日のトレッキングをするドンデン山、金北山が見える絶景の場所に立つコテッジ。荷物を置いて、1時にトキ交流センターを目指し出発。丁度田植えの季節で海のすぐ側、山あいの段々畑と本土では不耕作地になっているような所でも田圃があり不思議に思いました。2時にトキの森公園に到着。大きなゲージがあり佐渡の里山(植栽、水田、小川)が自然に近い状態にしており、目の前のガラス越しに餌を食べているのを観察することができた。
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 2時40分出発。帰りの車の中から田圃に白い物が見えるともしかしたらトキ? そうたやすくは見えることはあり得ませんでした。帰途温泉に入って帰ることにしているので、仙道温泉、湯林荘という田圃の中の一軒の小さな田舎家。私の半世紀以上の温泉入浴の中でも一二に入るひなびた温泉でした。お湯は茶色の透明でね重みのあるヌルッとした中々良いお湯でした。
 帰る途中スーパーにより夕食の買物。 5時30分コテッジに帰還。五十野さんお得意の絶妙バランス鍋、そしてプロの料理屋さん(辰井氏)作ったお刺身、そして新潟の地酒(朝日山)といつもより盛り上がった夕食、宴会で佐渡の1日目が無事終わりました。

5月9日【トレッキング・マトネ組】(嶋倉記):今日は佐渡島におけるメインフラワートレッキングの日です。トレデン山荘〜金北山〜白雲台縦走組(7名)とトンデン山荘〜マトネ〜トンデン山荘組(7名)に分かれま したがトンデン山荘までは車2台で一緒です。
 シーサイドビィラを朝5時45分に出発、朝日輝き緑滴る林を抜け、遠く残雪が残る金北山を望みながら7時5分前にトンデン山荘(標高800m)に到着。トンデン山荘から眼下に両津港をまた東海岸の方は雲海が漂い遠く山々の峰がぼんやり見え とても良い景色でした。出発の用意を整え、7時15分皆同時に出発です、車道を少し歩き登山道に入りここで 縦走組はドンドンと先を進んでいきました。
 私達マトネ組は時間がたつぷりとあるのでゆっくりと歩きます。歩き始めは道幅も広く新緑の林を両側に見ながら、蕗の臺の花、コゴミが可愛く先を巻いて柔らかそう、カタクリの花はちらほらと咲いています。「わぁあー美しい」「綺麗」と声が上がります。花を探しながらまた 今夜のおかずにとコゴミやぜんまいを摘みながら、おしゃべりも賑やかに道を進みます、
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 アオバト十字路に8時に到着。 一寸一休みして前に進みますが この辺りから本格的な一人ずつ歩く細い登山道です。沢山の花が見られます。大きな木の下には 白いヒトリシズカやニリン草等、エンレイソウ、ユキワリソウ、カタクリが群生して こんなに沢山のカタクリは初めて目にします。ニシキゴロモやサンカヨウ、コバイケソウの大きな葉が見えます、オオミスミソウと言う花が白や紫などの色があるのを知りました。 紫のきれいなシラネアオイにみな感激しています。もう花は他にも一杯で書ききれません。道も険しくなり残雪も所々残り雪解け水が流れて滑りやすく歩きにくいですが、水の流れに沿いザゼンソウが咲きほっとします。
 マトネ937,5mに9時5分に到着。此処で多めの休みを取り、もう少し進もうと数十メートル歩きました、金北山が良く見え、今頃縦走組はどの辺を歩いているのだろうと思いを馳せました。日が燦燦と照り海がきらきらと輝いて雲海はすっかりは晴れていた以外はトンデン荘から見た景色とあまり変わりません一寸高みから見た感じです、花も同じような物が咲いているだろうと思い元来た道を引き返しました。
 帰りはこんな急な道だったかなという思いで一杯でしたが思いの外早く11時に帰って来ました。此処で辰井さんの奥さんがトンデン荘で待つと言う事になりました。彼女は両膝と背骨の狭窄の手術を2年ほど前に受けられていての今回の挑戦でしたのでよく歩かれ頑張られたと感心しましたが、無理は禁物と休んでもらいました。トンデンの別れからトンデン池にこの辺り全部が放牧地になっていて今はまだ枯れた草が一面でしたが、水が流れて居る所で水芭蕉の白い花が群生していました。結構急な登りの放牧地をふうふう言いながら登り、椿越峠下り口から940mの尻立山(トンデン)を登りそこから1,3kmのトンデン荘へ到着は12時でした。辰井さんの御主人が奥さんの待つ所へ大急ぎで帰られ私達はふうふう言い付いて行きましたが愛する奥さんを一人ぼっちにさせまいと言う愛を羨ましく思いました。
 お昼にご飯を食べていると縦走組から電話がかかり食事も早々にして車2台で12時20分白雲台へ迎えに行きました。
 2時でしたが皆待っていて再び両津湾の反対の湾の海辺をドライブしながら美しい景色を眺め、温泉探しに一生懸命でした4軒目のハタノ温泉でゆっくり山の疲れを取り、スーパーに寄り食材を調達してシーサイドに戻りました。夜は楽しい宴会で山の話、花の話で沸きました。

5月9日【トレッキング・縦走組】(山本記):今回の大佐渡山地縦走の標準コースタイムは、7時間の長丁場、 稜線にはまだ雪が残っている可能性が高いので、体力的にちょっと心配。皆が同じ思いであったのか、予定より早く5時40分に宿を出発しました。 6時55分にはトンデン山荘に到着し、優雅に花をめでるトレツキング組と、何が何でも縦走組に分かれて行動を開始しました。
 車道を歩いて7時30分に縦走路入口に到着し、マトネを目指して急登の連続です。しんどいけれど、カタクリの群落やシラネアオイなどの多くの花を楽しみながら、8時30分に稜線上のマトネに到着、展望が良くなりこれからの景色が楽しみです。気持ち良い稜線を、雄大な景色とカタクリの群落や雪割草などの多くの花を楽しみながら真砂の芝生に到着し、まだ茶色の草原のなかに座って行動食を取りました。金北山を目指して歩き出しましたが、この先は難路の予感。稜線上にはまだ多くの雪が残っており、夏道が使えず踏み跡をたどっていっても途中で消えていたり、ブッシュに阻まれたりと、なかなか大変でした。やっと金北山直下に着きましたが、目の前に30mを越す雪の壁が出現しました。そこにはロープが垂らしてあり、キックステップで登って行った跡があったので一人ずつ順番に登って無事通過する事ができました。
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 金北山に11時50分に到着し山頂の神社に参拝し、食事を取りました。そこには旧レーダーサイトの跡があり、防衛の最前線であることを実感しました。頂上を12時15分に出発して、防衛省管理道路を歩いていたら、とても美しいブナ林があり思わず立ち止まってしまいました。妙見山と新しいレーダーサイトを見ながら、13時35分に花のトレッキング組との待ち合わせ場所の、白雲台に到着しすぐに合流できました。
 後は温泉と宴会が待っています。充実して、楽しい1日を過ごせました。有難うございました。

5月10日【佐渡金山】(小野記):7:20 車2台に分乗し金山跡へし出発。あいにくの曇り空で雨が時々パラパラ。
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 8:10 史跡佐渡金山着。1601年山師3人により開山。1603年徳川幕府の天領となり佐渡奉行所を設置。幕府の財政を支えた。1989年資源枯渇により操業停止。主要金鉱脈は8本、掘り進めた坑道の総延長約400km。色々コースがある中、宗太夫抗に入る。リアルな人形を設置して 江戸時代の作業工程を再現。坑内は1年を通じて10°前後と少しヒヤリ。採掘、排水、換気と坑内の作業は全て人力。坑内作業だけでなく選別etc.もあり女性も子供も働いた。労働条件は劣悪で寿命は短かった。中には金塊(イミテーション)重さだけで実物の約 2/3(7.6kg)に触れるコーナーあり。近くに佐渡奉行所が再現され当時のおもかげを残す。街並散策。
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 9:45 阿佛房へ。1278年開創。正式には蓮華王山妙宣寺(日蓮宗)阿佛房日得上人千日尼御前夫妻の旧蹟霊場。派手さはないが見事な寺で日光東照宮の塔を模した五重塔もあり。拝観料なし。「御朱印を」と何度か声をかけても誰も出て来ず。何とものどかで素朴な所。門前で販 売されていた干柿が美味。
 11:15 夕食の買い物に道の駅によるも商品が全くなく退散。
 12:00 両津港にてランチ
 13:30 天領盃酒蔵見学のつもりが酒類販売のみ。
 14:45 千石船の里 宿木。中世の頃より廻船業を営む者が居住。船主・船のり船大工をはじめ造船技術者が居住し、一村が千石府船産業の基地として栄えた。1ヘクタールあたりに110棟の建造物を配置する高密度。廻船による栄光とその衰退。出稼ぎと農林漁業への転換という歴史を映している。(何年か前のJR東日本のポスターにも採用されていたとのこと)
 かもめ荘にて佐渡最後の温泉を満喫して宿へ。最後の夜は、おつくり、ビーフステーキ(佐渡牛)、鍋と盛りだくさん。BGMにはカエルの合唱がなりひびきね最後の夜も楽しくふけていく。田植えを終えたばかりの水を満々と溜めた水田の中を島半周のドライブ。途中、道の真ん中でトンビが獲物を捕獲している場面でストップなど、またたっぷり残っている自然の中での1日。半面、商店街のシャッターには淋しさも...。眠る前 フッと遠い未来か近い将来 資源をとりつくした地球はどうなってしまうんだろう...なんてことが...。

5月11日【たらい舟】(笹田記):今日はいよいよ最終日。 疲れを知らなぬメンバーは全員5時には起きている。6時20分から朝食。炊き立てのご飯に鮭の塩焼、なめこ入りの味噌汁と和食党の私は大満足。8時前、前日昼過ぎからの降り出した雨もようやく上がったと思われたところで出発、小木海岸へ向かう。海に面した海岸には黒褐色の大小の岩が点在し、それに向かって日本海の荒波が激しく打ち付けられ、砕け散る波の白さが岩肌の黒さを一層際立たせている。傍らの石碑には「天然記念物及び名勝・小木海岸」と記されている。
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 次にたらい舟に乗るため宿根木海岸に向かったが営業時間前であったため、矢島・経島に変更、9時過ぎに到着。早速乗船手続きをする。乗客は一艘当たり3人までのようで、我々全員14人を見て、慌てて応援の船頭を呼びに行ったようである。
 たらい舟は直径2m程の大きさで中央に高さ40cm、1辺50cm程の正方形の木枠がはめ込まれており、乗客はその1辺にに腰掛ける。木枠の底はガラス張りで海底が透視できるようになっている。船頭は全て女性で、いわゆる折編笠をかぶった「佐渡おけさ」の踊り子そのものの恰好をしている。コースは幅150m長さ400m程の入江を20分ほとで1周する。早速 舟に乗り込むと、波穏やかな水面を滑るように進みまるで海上散歩をしているようである。 周りの静けさの中「ギーコ」の音のみが心地よく耳に入る。
 やがて矢島・経島が見え船頭からその名の由来を聞く。矢島はかって良質の竹が取れ、平家物語の中で妖怪の「ヌエ退治」に使用したのもこの島産の竹であり、また経島は日蓮の弟子の日朗が漂流した時、経を読んで過ごしたことに由来しているとのことである。濃い緑の2つの島影とそれに続く鮮やかな朱色の太鼓橋が水面に映えている様はまるで箱庭にいるような錯覚に陥る。
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 10時前全員が乗り終えたのを待って小木港のフェリー乗り場に向かう。10時過ぎに到着したが、乗船は11時30分とのことで小1時間ばかり各自土産物を買ったり昼食をとったりした。11時50分予定通り出航。往路のようなシケでありませんようにとの願いもむなしく風が強く海上には白波がたっている。13時40分シケの為10分遅れて直江津港に到着。往路に比べ幾分シケが弱かったことと乗船前に酔い止めの薬を手配してもらったお蔭で帰路では船酔い者が1人も出なかったのは幸いである。
 上陸後北陸自動車道、名神高速道路と乗り継ぎ、途中名立谷浜SA、小矢部SA、杉津SAの3ヶ所で休憩、午後8時過ぎ京都に着いた。
 この度の佐渡島花登山旅行は、その名の通り山一面のカタクリの群生にミズバショウやザゼンソウなどの珍しい花々の出会いに、金北山では30m以上の雪の壁に足のすくむ 思いをし、また 日替わりで3か所の温泉に入浴したり連日御馳走を食べながらのパーティーなど楽しさいっばいの旅でありました。