Latest update: January 15. 2021
サハリンの自然を求めて:2019年6月28日〜7月2日
参加者:藤原夫妻,大和夫妻,小山夫妻,猪原,浅野目,長竹,真島,井木,白石,高橋,姫田,梶原,五十野 計16人
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6月28日:6月28日 関西空港はG20の大阪開催に伴い厳重警備が引かれ、ものものしい雰囲気であった。全員が余裕を持って集合の15時前に集まる。
 今回のサハリン例会は初日に韓国ソウルインチョン空港内で1泊し、現地3泊の予定である。17時に韓国インチョン行きの飛行機に乗り、19時前にインチョン空港保税区域内のトランジットホテルにチェックインをする。各自部屋に荷物を置き、空港内のレストランで辛い韓国料理と冷えた生ビールで夕食を美味しく食べる。食後は各自免税店なとのウインドーショピングなどを楽しみ、早い目にベッドに入る。猪原さんは成田空港から来られたが、飛行機が大分遅れお会いできたのが22時半過ぎであった。
P.S. 今回のJAP海外例会は初めて現地で全日程が雨でまた寒く予定が大きく変わり、当初の目的であったチェーホフ山登山は安全を考えて中止にしました。その代りに日本統治時代に建設された樺太鉄道の廃線ハイクが出来、ループ状線路の建設(トンネル、鉄橋)には当時の日本の素晴らしい技術力に関心させられ貴重な体験が出来ました。

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サハリン 二日目 (6月29日 土曜日):猪原さんも深夜に合流、早朝から顔を合わせ、ひとしきり大笑いの後、7:00に集合、各自空港内で朝食をとる。一番人気は悲しいことにロッテリア。9:00に搭乗。いよいよサハリンへの4時間弱の旅。天気が回復しますようにと願いながら搭乗。12:07(時差2時間)サハリン、ユジノサハリンスクに着いたら、願いもむなしく小雨。なんと10℃くらいの寒さ。ダウンジャケットの上にレインウェアを着なければならない。日本の小さな空港のように搭乗機からタラップを降りて、バスで空港ターミナルへ向かう。入国手続きはいとも簡単。12:40「JAP」の看板を持ったガイドのビエスタさんと合流。さあ市内観光に出発と思ったら、なんと、真島さんのトランクが行方不明。ロストバゲッジで有名なインチョン空港で紛失かと心配したが、他の人が間違って持っていっていた。よく似たトランクだったらしい。当然、一言の謝罪もなし。間違えられたあんたが悪い、というくらいの雰囲気?だったとのこと。さて、ほっとして、バスに乗り込む。

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 まず、ガガーリン文化公園(最終日にガガーリンの像を見た。)の一角にあるロシア正教会へ向かい、見学。とても美しい教会で、もちろん新しいのだが、」これ見よがしな過剰な装飾がない。何人もの人がお祈りをしている中、美しいステンドグラスや天井や壁の絵を堪能。外へ出る。少し向こうにサーカスと思われるテントがある。なんとなく、ロシアの風情。少し歩いて、昔の豊原神社(樺太神社)後へ向かう。参道はそのまま残っているが、神社の社務所は地元の企業がそのまま使っているらしく、そこは立ち入り禁止。参道の上の広場には、第二次世界大戦で使われたらしい戦車や大砲が飾られている。その後、戦没者の慰霊碑を横目に、バスで、ガガーリン公園に向かう。動物園のそばを通り(動物は見ていない)、公園内を散歩するために公園の入り口に向かう。すると、夏休み(6月初めから8月末)のため、ディーゼル列車を子供が運転、車掌をしているとのことで、皆で、乗車。新緑は美しいがとても寒い公園周囲を20分ほどかけて一周。動いているときに、立ち上がると、危ないから座れと叱られる。本当にまじめに働いている。

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 それから、再びバスで、ユジノサハリンスク駅前のレーニン広場へ向かう。なんとD51が飾られている。CCCPのロゴの看板が付いているが。結構きれいに保存されている。公園内のレーニンの像へ向かう途中に阪神大震災と同じ年に起こったサハリン地震?の記念碑があった。倒れた二つの建物を表しているような碑であった。レーニン像は正面にある市役所を見て立っていた。とても大きな像で、顔がよくわからなかった。このあたりにハトがたくさんいるのだが、やけに太っている。さすが、ロシア。

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 本日の観光はこれで終了。パシフィックホテルに向かう。チェックインしたが、まだひと悶着。いくつかの部屋がダブルベッドで、エクストラベッド(実際に配備されたのは翌日だったが)を入れてもらうなど、五十野さんは大奮闘。旅装を解いて、やっぱり似たような格好だが、近くのスーパーマーケットに買い出しに行く。ビール、ウォッカなど。早くもお土産も。そして、19:00いきなりホテルでディナー。いつもなら最終日のご褒美だが、今回は初日から豪華な食事。美味しかったかは別問題。その後、各自の部屋に戻り、明日からの好天を願い就寝。

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サクラマス&カラフトマス隊 6月30日 白石,猪原,大和,長竹,浅野目(記):なんの釣り情報もない中、釣り好き5名は日本出発前から、気持ちは高ぶっていた。
 30日の朝、少し日本語の話せるガイドが「少なくとも2匹は釣れるでしょう。いや10匹は釣れると思います」その言葉に全員心は祭りだ。ハイキング組のメンバーに見送られ5人は満面の笑みの記念写真をとって出発。車で1時間30分ほど走りフィッシングガイド2名と合流。川の近くに10台以上の車が並んでいて、嫌な気分。悪路を20分ほど進み、秘密のフィッシングポイントと思われる場所に着いた。目の前の川幅は10~20メートルほどだ。さっそくタックルをセット(小雨なので)レインウエアを装着し下流へ移動。蚊にまとわりつかれながら、それぞれの場所でもくもくとキャスティングを続けるも釣れない。しかし、我々にはフィッシングガイドがついているのだ。2~3時間魚はみていないが、少し心の余裕はまだあった。ガイドが小さなサクラマスを1匹釣り上げた。彼の装備はフライフィッシングタックルの上、ハイチェストのブーツなので、対岸の深みの近くまで進み最高のキャスティングが可能。かたや我々はハイキングシューズのため岸から重いスプーンをエイヤーと飛ばさないといけない。あらゆるテクニックを駆使しても小魚すら釣れない。ガイドが良いポイントに連れて行ってくれることを期待してランチタイムとなった。食後に日本語ガイドが私に言う「これからどうしますか?」―――――こ、こ、こ、こいつは何言ってるのだ!「魚のつれるとこへ連れて行け!」とおもったが、どうやら車で移動する気がないらしい。しかたなく上流へ行くことになり25分ほど薮の中を移動するが、道がなく「増水しているので川を渡れない」と言いだした。ガイドは言う「これからどうしましょう」ワシに聞くな!半分あきらめムードで下流の広場へ移動。午前中の場所で無駄な時間をつぶすだけとなり、大量の蚊に吸血されて本日のタイムアウトとなった。

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 今回の反省点は、川の情報があまりにもなかったこと。サクラマスの時期は4月5月、カラフトマスは7月後半から8月で、今回は時期はずれであったこと。さらに、フィッシングライセンスも不要、網でも何でも密漁?でもよいようなことが目の前でされていて、がっくり。またプロのフィッシングガイドがいなく、ちょっと釣りのすきなお兄さんがアルバイトで川まで案内するだけだったようだ。猪原さんは世話になった釣具点へ報告に行くのが辛いとおっしゃっていましたがー。残念、残念,お粗末の巻きでした。


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6月30日(日)サハリン ピクニック ヴェストチカ カエル岩ハイキング,藤原夫妻、小山夫妻、大和奥様、真島、井木、五十野、高橋、梶原、姫田(記):気温12度 雨天 ホテルAM9:00出発
 午前中はヴェストチカ村がある付近のカエル岩を目指すハイキング。ユジノサハリンスクから東へ車で30分ほどの所にヴェストチカ村がある。雨は止む予定が一向の止まず、レインコートと傘で防備して出発。村の間を7分位歩いた所に散策入り口の小さな夫婦岩の様な岩の間を通る。

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 ここは、アイヌの伝説と関わりがあったり、UFO学者や占い師などから一目おかれているパワースポットとかで、UFOがよく目撃されたり、占い師?などによればパワーみなぎる場所なんだと。その為、入り口の二つの岩には挨拶をするのがハイカーの礼儀らしく、岩に手を当ててお邪魔しますと声をかける。すぐ近くにポツリと入り口の岩と同じ位の大きさの岩が見えて、最もパワーがある岩らしく、本来なら草むらの中に埋もれていそうだが、皆が触りに通るので獣道ならぬ人間道になっていた。欲深い私はたくさんお願い事をして綾乃ちゃんに促されて立ち去る。ガイドの話では、普段はとっても人気の散策路らしく、本土のロシア人や石油プロジェクトで働く外国人が沢山歩いているのだが、その日は閑散としていて、人にあったのは帰り道のご家族らしい一組にしかあわなかった。
 雨の緑の木立の間を30分ほど歩くと沢(アイチア川)に出て、うっとおしい雨のストレスをキレイな水が流してくれるかの様に気持ちは晴れて、沢にかかっていた橋のすぐ側のリャグーシカ登山口からカエル岩を目指す。足下の土が沢山の雨を含んでヌルヌル、ドロドロの中、80%はありそうな傾斜を黙々と登る。皆さん健脚で慣れていらっしゃる中、私は案の定大股で登り切ろうと思ったが、腰にグキッ!と電気が来て足下が滑ってそのまま数メートルズルズルと滑り落ち、止まった所で真島さんが手を取って助けて下さいました。レインコートも靴もドロドロ、靴底は泥土で埋め尽くされてグリップ力を失い、雨の日に山で歩いたらこうなるんだと身を持って体験したしだいです。ホテルに帰ってみたらレインコートが少し破れていた(泣)

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 黙々と30分くらい登った所に9mはありそうな大きな岩のカエルが眼下を望んでいる格好で鎮座している。が辺りは残念ながら真っ白な景色。HPの他者の方が書かれた記事情報から景色を見る。集合写真を撮って下山。近ければリベンジしてみたい場所でした。元来た道を下りた所で先ほどのアイチカ川で私は川に入って泥を落とし、他の方は魚を見たり、写真を撮ったりして元来た道でバスまで戻る道中、行きも聞いていたであろうウグイスの鳴き声が聞こえて。サハリンでも桜が咲くそうだが見かけていないので、ウグイスの鳴き声と桜情報から日本でいうところ3月末か4月初めあたりの気候ではないかと推察する。初めに挨拶をした岩に別れをつげてバスに戻る。

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 午後からはピクニックで場所を移動し、村からまた東を向いてオホーツク海を目指して20分ほど走る。途中トゥナイチャ湖、日本名とんないこ「富内湖」に立ち寄るが特に水がきれいだとかもなく見せられ、それよりもバスを止めた駐車場で、盛に盛られたタラバガニに皆釘づけになって、お昼のランチで食べようという事になり2杯(約3700円)買ってみたが、ツアー企画のBi-tomoさんの方で既にタラバガニを湯がいて、私たちに振る舞う準備をしてくれていた。

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 オホーツクの海岸で準備されたテント内に入りタラバガニが来るのを待っていた時は皆行儀よく座っていたが、カニが姿見でテーブル3杯持って来られた時には我先にといわんばかりにカニをもぎって皿に乗せて皆無言で頬張って食べ、カニの食べ方が上手な人の方は徳やといいながら食べ終わったかと思うと、なんと第2ラウンドが待っていたのでした。本当にゴングの音が聞こえたかの様な勢いで一生分のカニをたらふく食べ、片付けて下さっている間に海岸に出て貝をみたり石を見たり、各々自由に戯れている間にお茶の準備をして下さっていたのでお茶を飲み、スタッフの方達にさよならの挨拶をしてホテルへ戻る海岸沿いを走っていると、先ほどと同じ盛りに盛られたタラバガニがあちこちのテントで売られていたくらい、タラバガニの名所だったみたいだ。

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 PM7:00 夕食のグルジア料理店“Tiflis” にホテルを出発。15分ほどで店に到着。昨日のホテルでの夕食でもそうだが、サラダ・スープ・メイン・ティーが旅行者に出されるコースのようで、昼に食べ過ぎたタラバガニが残って食べられないと思っていたが、せっかくの外国での料理なので何とか食べたが印象が薄く、多分日本でたべている様な味なのか料理に感動が無かった。昼のタラバガニが衝撃的すぎたのかもしれない。小山ご主人と藤原奥様がお誕生日ということで、ケーキを買ってお店でお祝いをして9時頃店を出てその日は終了。翌日は晴れる事を期待して就寝。

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 入って間もなく、いきなりの海外例会に参加させて頂き、初めてお目にかかる方達にも快く受け入れて頂き、楽しい思い出がいっぱいになり、皆様方々には本当にお世話になりました。至らない事も多々あったとは思いますがお許し頂き、五十野さんには何から何までお世話になりっぱなしですみません。そしてありがとうございました。

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7月1日(月)曇り&小雨,梶原(記):今日は、サハリン例会メインであるチェーホフ山登山予定だったが、昨夜の夕食時に、ガイドのヴィスタさんから、昨日登られた方が天気悪く、10時間かかった、明日はもっと天気が悪いので、廃線を歩くツアーにしてはどうですか?という提案があった。皆さん一致で変更となってしまった。参加したJAP海外例会では、初めての事だった。私、毎回晴れなのですが・・・今回は太陽さんを見なかった。そして寒かった。北海道よりも・・・残念、無念。日頃の行いが悪かったのか、いっぱい人に仕事を任してきたからか・・・反省。

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 気を取り直して、朝8時ロビーに集合。2-3時間バスに乗ります、結構歩きます、ということで、トイレに駆け込んだり、靴を履き替えたり、ザックを変えたりとバタバタ。ロビーの外には映画に出てくる装甲車のような巨大なタイヤのトラックが待ち構えていた。そして、迷彩服の人相の悪いヒゲおじさん(バロジャさん)と、背の高いイケメンの兄ちゃん(リョーシャさん)がいて、一瞬、マジでどこに連れていかれるのかと不安になったが、皆さん装甲車をカメラで撮りまくっていて安心した。階段を使って乗り込むと天井は高く、バスのシートのようになっていて、前方に巨大スクリーンのTVがついていたが、写ることはなかった。TVを挟んで両脇に正面を向いて、ヒゲおじさん(バロジャさん)、ガイドのヴィスタさんが座られた。8時20分出発。雨の中、ガスって遠くは見えない窓越しに、街中を過ぎると原野が広がる。北海道の稚内に似た景色と白樺の森が続き、ほったて小屋がパラパラ、どうして生活しているのかなぁ~なんて考えながらうとうと。結構いい感じに揺れて眠りに落ちる。9時半トイレ休憩。外は寒く、小雨。これからテーマパークができるのか、広い敷地でバギーに乗れるようだった。トイレは、水洗でとてもきれいだった。長い道のりは、トンネルがなく山が、ないんだなぁ~と思った。日本はトンネルだらけですがね。2時間ほど走って大きな街中についた。10時半に真岡(ホルムスク)に到着。

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 海岸線に巨大な廃墟となった王子製紙工場を町の上から眺めた。広島の原爆ドームを思わせるほど、朽ち果てた工場は、異様な雰囲気だった。工場周りに線路が続いて、日本製の列車では、サハリン線路サイズが合わないので、交換を行っているとのこと。悲しい日本の象徴が観光スポットになっていた。30分ほど山道を装甲車で走る。さらに揺れが増す。狭い林道で、車にあたる全ての木の枝をバリバリ折り、小川も超え、見晴らしの良いスポットに到着。王子製紙まで木を運んでいた線路と湖、紫色のルピナスが咲いた静かな美しい景色だった。夏は観光で、線路は使われているそうだ。さらに30分ほど下るところで装甲車は、なんの変哲もない所で停車した。林道の脇には、小さい小屋と畑があり、ヴィスタさんは、別荘と言われた。都会の方が、野菜を作ったりするとのこと。サハリンの街中は、4-5階建てのアパートばかりのコンクリートで土地がないからかと思った。

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 11時半からお弁当を持って廃線(旧樺太時代豊原~真岡線)を6㎞歩くツアーに出発。先頭のヒゲのバロジャさんについて線路を歩く。枕木を歩くと足がらくちんだからと歩くが、歩幅が狭い、線路脇の砂利道は、ぼうぼうの草に阻まれる、なんとも歩きにくい。雑草の黄色や、白い花を眺めて、時々野イチゴを摘みながら、どんどん歩くと、ニコライチュク駅から2㎞で高さ49m、長さ120mのループ橋(鬼の橋)に着いた。右にトンネル、左に直登に近い階段、その上には長い橋。不思議な形をしていた。まず、直登の階段を登り橋に出る。橋を渡るのに、枕木の間から下が見え、ところどころ倒壊して恐怖だった。皆さん恐る恐る、一歩一歩確かめながら渡った。高所恐怖症の小山父さんは、かなりビビっておられた。渡りきると、トンネル入り口があり、昼1時に渡されたお弁当を皆で頂いた。日本の幕の内弁当のようにご飯とおかずが入っていて、おかずは美味しかったが、ご飯は箸では食べにくいくらいぱさぱさだったが、こわおもてのガイドさんたちは箸で上手に食べられている姿は、かわいかった。日本人はフォークを使ってるのに?!1時半に出発し、真っ暗なトンネルに突入した。いくつか、懐中電灯を貸してもらい、出発。皆の分がないので、ガイドさんが大きな懐中電灯で足もとを照らしてくれた。私は暗がりが怖いので携帯の懐中電灯をつかってさらに明るくした。1つ目は短かったが、2つ目は長く、石だのくぼみだの枕木などが足もとを邪魔した。真っ暗で写真をとったら誰か写ってそうで怖かった(集合写真を撮ったけど写てるかもしれません・・・)。30分ほどで最初に上がった直登の右のトンネルに無事ついた。
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 帰りはもと来た線路を歩いた。野イチゴがある場所を確認してきたので、夢中になって取てる人もいた。その中には、ガイドさんとヴィスタさんもいましたが。野イチゴというより普通にイチゴで、美味しかった。3時に到着し、大きな慰霊碑に花輪が飾ってあり、3人のロシア語で兵士の名前があり1945年8月21日と刻まれていた。第二次世界大戦終戦の年だった。また、大きな装甲車にのせられホテルまで連行された。くしくも、小山父さんの万歩計は、40000歩を示し、歩き15000歩、装甲車で揺られて25000歩という結果だった?!5時前にホテルに到着した。
 少しでも時間を無駄にしない小山夫婦と一緒に土産を買いにスーパーへ急ぎ、シャワーを浴びて、7時に夕食のお迎えの普通のバスに乗った。有名なロシア料理Marusayaで食べた。今日は、沢山動いたのでいっぱい食べた。野菜、中華みたいなシュウマイ、スープ、サワークリーム付きのマフィンをビールとワインで頂いた。ホテルまでは近いので、歩いて買い物をして帰る方もいた。

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 今まで行った海外では、異国さが半端なかったです。英語が通じず、ロシア語が読めず、トイレがわからず。親切なガイドさんのヴィスタさんがいてホントに良かったです。いつも、五十野さんには色々お世話になり、ありがとうございました。また、面白い国に連れて行ってください。皆さん、お世話になり、楽しい旅を、ありがとうございました。また、よろしくお願いします。

7月2日 サハリン4日目,大和(記):5時前に目ざめたが、外はまだ暗い。白むのを待って起床。3泊目もう帰国の朝を迎えた。今朝もまた雲に覆われた冬空。冷たい雨。とうとう青空、太陽にお目にかかる事は無かった。
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 7時からビュッフェの朝食を食べる。10時の出発の時間までホテル周辺の散策。通勤時間帯にも関わらず車は信号1回待ち程度、人はちらほらと少なく感じた。10時に迎えのバスが到着。パシフィック プラザ ホテルを後にする。
 10時半にガガーリン広場前の土産物店に寄る。それぞれロシアに来た証しらしい品を購入。11時サハリン州郷土博物館に到着。日本時代に建設した旧樺太博物館で天守を思わせる外観がひときわ立派な建物でした。サハリン州の自然と生態系、日本統治時代を含む歴史、文化が解りやすく展示してあった。日本統治時代に関心があるのか時間をかけじっくりと見ていた。
 12時10分過ぎ昼食のため和食レストラン「まつり」に行く。いつも通り先ず大量の生野生のサラダ(和風ドレッシング)、稲庭うどん風のスープ、ゴルフボール大の大きさの肉団子、焼きめし、そしてデザートはアイスクリームとチョコレートケーキ、コーヒーといつも通りの腹一杯のコースメニューでした。
 1時20分過ぎ出発。空港に向かう途中にショッピングモールによったが時間が無いため買い物も程々にして空港に向かう。2時空港に到着。一昔前の田舎の空港のようでタイムスリップした感じ。

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 4時ユジノサハリンスク出発。2時間の時差でインチョン空港でのトタンジットののち、9時関西空港到着。サハリンでの4日間全て雨の日ばかりであったがチェーホフ山登山は出来なかったが、歴史に触れた内容の濃いトレッキングだった。皆様お疲れ様でした。